先日、テレビで西城秀樹さんを拝見しました、ご覧になった方も多いかと思います。

小学生の時から大ファンの秀樹さん。

1972年デビューですので、当時私は9歳。

雑誌『明星』『平凡』を毎月買っては、ひろみ、五郎ファン友人と切り抜きを交換。

子供ながらに、「世の中にこんなにもかっこいい人がいるのだろうか」と思い、

まじめに「いつか秀樹と結婚する!」と皆に言っていたのを思い出します。

 

秀樹さんが残した功績は、本当に素晴らしかったのだと改めて再認識しました。

その功績とは・・・

・1970年代初め、振り付けをする歌手がほとんどいなかった歌謡界

体全体で表現する振り付けを取り入れた『アクション』

・今ではロック歌手が当たり前に行っている演出法ですが、

海外から取り寄せたアルミで軽量化された特注マイクを使っての『マイクパフォーマンス』

私も掃除の時間にホウキでマネしていたのが懐かしい〜

・YMCAでお馴染み、大人も子供も踊れる簡単な振り付けの『観客参加型パフォーマンス』

皆でできる参加型ダンスは、実は、秀樹さんが最初に行ったんです。

しかもご自身が考えた振り付け、素晴らしいですね!

今でもあの曲がかかると、皆さんも体が動いてしまうはず。

 

2013年9月、コンサートへ行ってきました。

今でも、ご病気で後遺症が残る中、当時のようなアクションはできないものの

自分と同じ思いをしている方々に勇気を与えたいとの思いで、

必死のリハビリを乗り越え、復帰され、

ステージにしっかりと立つ姿には強く胸を打たれてしまいます。

会場で、周りも気にせず、「ヒデキ〜ヒデキ〜」と人一倍叫んでいた私。

どの歌もすべて素敵ですが、その中でも私が一番好きなのは、バラード曲。

「ブルースカイブルー」「ラストシーン」「若き獅子たち」。

あの日は、内二曲を歌ってくれて、感動で涙が溢れて止まりませんでした。

『太陽に向かい、歩いている限り、影を踏むことはない、そう信じて生きている』

「若き獅子たち」の歌詞にジーンときてしまいました・・・

ゆっくりとした足取りで退場され、もう出てこないのかな・・・と思っていましたが、

再登場され、ラストはYMCAの曲で盛り上がり、舞台と会場が一体となり皆総立ちでした。

私もあの振り付けで、ずっと踊っていました。

やはり秀樹パワーは凄いです! ヒデキ〜感激〜

あの日は、夜中ずっと、YouTubeで当時の映像を観てしまい眠れませんでした。

 

擦り切れてしまうほど毎日聴いていた、カセットテープは今でも私の宝物です。

実家のどこかにも、写真やスクラップ記事があるはず・・・

 

この日は、40年前にタイムスリップということで、好きなレトロな装いに合わせ、

アンテイークのエメのリング、クロコのバックに、足元はserjiorossiで。

 

〜私の青春だった西城秀樹さま〜

舞台での貴方のお姿は、誰よりも眩しく輝いていました。

これからも、どうぞお体に気をつけて、ずっと歌い続けていて下さい。

そして、いつまでも私たちに夢と感動と元気を与えて下さい。

私も永遠にエールを送り続けます。

また、必ず会いにいきます。

 

そして、また一年半後会いに行くことができました、続く・・・