私の小学生の頃の女の子の流行っていました遊びと言えば、リリアン。

ただひたすら編んでいくと、長いひもが出来るもの、なぜか楽しかったですね〜

 

編み物が得意な母。

編み物をする母のそばで見よう見まねで、かぎ針を持ち

同じようにしたくて、鎖編みから教えてもらい、丸いコースターを作ったり。

小6の時、好きな人とペアの白いマフラーを作って渡したけど、返された苦い思い出も、、、

その後は棒編みに移り、だいたいの人は左手にかけるフランス式が多いですが。

母が右手に糸をかけて編むアメリカ式だったため、自然と私も同じように。

 

昔は、今のように毛糸玉になっていなく、かせ糸(束になっているだけ)状態。

私が両手を広げて、腕に毛糸をかけて、毛糸の束を編みやすいように、

クルクル母が巻いて、毛糸玉にする手伝いをしたことを今でもよく覚えています。

そのうち我が家にも、傘の骨組みだけのような機械=かせ繰り機が登場しました。

私と弟のセーターもよく編んでくれて、成長とともにほどいては、

また編み直したりと、昔は、皆そうしていましたね。

 

ということで、こう見えても、編み物が得意だった私。。。

当時は、好きな人に手編みのセーターを贈る風潮があったような・・・

私も、あれこれ10枚近くは編んだはずでが、きっともう捨てられているのかな、、、

 

いよいよ明日はXmasイブ。。。

 

1988年のXmasに贈りました、シンプルに縄編みだけのセーター。

何年かぶりに引っ張り出して見てみても、虫食いもなくキレイな状態。

Xmasイヴまでに間に合いそうになく、通勤の帰り、電車の連結部分で立って編んだりも。

身頃や袖つけ等の最終工程は、流石に母に頼んでしてもらい、ぎりぎりセーフ。

今となっては、懐かしい思い出の品です。

 

こんな風にフエルトにツリーなど、細かく刺繍までしています。

その後、編み物をしたのは、娘が生まれる前に、帽子と靴下を編んだのが最後ですね。

 

母の愛情が詰まったセーター、編みあがった新しいモノに手を通すのが嬉しくて。。。

今は、わざわざ時間をかけて編まなくても、色々なモノが簡単に手に入る時代ですが、

やはり、いつの時代も手づくりのモノは温もりがあっていいですね!